フリュイを立って2日後。
ニコルはフランソワーズとして後宮の1室に入った。
フランソワーズは髪が長いので、ニコルは大きなリボンを模ったヘッドドレスを付けた。
「こちらが、フランソワーズ様のお世話をする者です」
緊張するニコルの前にお仕着せ姿で現れたのは、アルディ公爵家の侍女だった。
「あー良かった」
良く知った顔を見つけて喜ぶニコルに向かって、ルイは唇に人差し指を立てた。
「今はフランソワーズ様だぞ」
小声でたしなめるルイに、ニコルは口を押さえて首をすくめた。
「やっぱり。お前1人では不安だな」
ニコルは背後から聞き慣れた声がして振り向く。
「マッ、マカオン・・・・・・」
大声を出しそうになって再び口に手を当てた。
「2人まとめて護衛した方が楽だろう。だから、マカオンを騎士見習いとして後宮の護衛を任
せることにした」
ルイはマカオンの肩に手を置いて笑う。しかし、マカオンは無表情のままルイの手を払う。
「まぁ、仲が良かったのね」
ニコルはいつもより小声で話す。
フランソワーズがどのような話し方なの知らないが、病弱なので小声だと思ったのである。
「まぁ、ちょっとした顔見知りだ」
ルイは「なっ」とマカオンに笑いかけるが、マカオンは「違う」と素っ気ない。
良くも悪くも表情には出さないマカオンだが、ニコルにはマカオンが照れているように思えた。
ニコルは騎士団の制服を着て、マカオンやルイ、ハヤテと王城や後宮、離宮を歩くことにした。
場所を把握しておかなければ、万が一の時に対処できないからである。
事前に聞いていたように王城と後宮、離宮では護衛や侍女や小間使い達の制服が異なり、王城
の人間が簡単に後宮や離宮に入り込めないようになっている。
王城内を歩くと男も女も様々な人が出入りしていた。その中にあって珍しい髪のマカオンは、
一際人目を惹いていることにニコルは気が付く。
「そのキンキラの髪、染めたら」
「なぜだ。必要ないだろう」
唐突な提案にマカオンは不満気な顔をする。
「目立ち過ぎだと思う。私だって仕事によっては染めたわ。染め粉を貸してあげるから、染め
なさいよ」
「いらない。必要ない。そうだろう」
マカオンはルイに助けを求めた。
「そうだな。ここでは、そのキンキラの髪が役に立ちそうだし」
「え?」
ルイの言葉にニコルは首を傾げる。
「後宮は暇と若さを持て余した女性の巣窟だ。そこに、キンキラの若い男が入って来たら、一
斉に食い付く。そこで、上手く情報を引き出す」
ルイはニヤリと笑う。だが、マカオンは額に手を当てて顔を顰める。
「女に媚びへつらうのは苦手だ」
がっくりと肩を落とすマカオンを見て、ニコルは本当に人嫌いなのだと知る。
「だったら、いつも通り冷たくすればいいじゃない」
「はぁ?」
「だって、社交界慣れしている皇女や侯爵令嬢に嘘ついてもバレると思うの。だったら、いつ
も通り意地悪モードでいればいいじゃない。」
「そうだな。適当にあしらわれた方が、より追いかけるものだ」
ルイがニコルに加勢すると、マカオンは2人を睨む。
「お前達、馬鹿にしているだろ」
「まさか、ねぇ」
ニコルがルイに笑いかけると、ルイも「ねぇ」と笑った。
「クソッ」
マカオンは不機嫌に壁に拳を叩きつけた。
離宮の周囲を確認して後宮へ戻る途中、離宮から中年の女性に声をかけられた。
「失礼ですが、そちらの女性はヴェルミリオン辺境伯嬢ではありませんか」
「そうですが」
騎士の格好をしているニコルは正直に答えた。
「恐れ入りますが、王女殿下がお呼びです」
「はぁ。失礼ですが貴方はどなたでしょうか」
上等な生地のドレスを身に纏っているので、王女付きであることは間違いないがルイも知らな
い相手のようなので警戒をする。
「失礼いたしました。フランソワーズ様の乳母トワレでございます」
トワレと名乗った女は優雅にお辞儀をした。
ニコルがルイを見上げると、ルイは「間違いない」とばかりに頷いた。
「そうでしたか。失礼しました。着替えてから伺ってもよろしいでしょうか」
このまま会うのは気が引けた。何より王女と2人で会うのがニコルは怖かった。
「申し訳ございません。王女殿下の体調は変わりやすいものですから、今すぐ一緒に来てくれ
ませんか」
トワレの「ごちゃごちゃ言わずに今すぐ来い」という圧に負けたニコルは観念した。
「わかりました。ですが、1人だけ付き添わせます。いいですね」
「えぇ、どうぞ」
笑顔が引きつるニコルに対して、トワレは満面の笑みを浮かべた。
初めて会ったフランソワーズは、ニコルと同じ顔をしていた。
ただ、体調がすぐれないせいか頬がこけ、首や腕、指は骨と皮しかないぐらいに細い。
「会えてうれしいわ。ずっと会いたかったの」
ソファーに座っていたフランソワーズは、ニコルを手招きして隣に座るように促す。
案内された部屋に入ったニコルは薬屋のような匂いが気になり、壁を見ると薬瓶が整然と並ん
でいる。
フランソワーズは、そんなに体調が悪いのかと心配になった。
ニコルが座ると、ニコルの手を取って笑った。
「本当にそっくりね」
「えぇ、本当に」
フランソワーズがお茶を飲むのを見て、ニコルもお茶を飲む。
ニコルの後ろで一瞬ハヤテが青ざめたが、ニコルは目の前にいるフランソワーズに夢中で気が
つかなかった。
思っていたよりも優しいフランソワーズにニコルも緊張が解ける。
「ねぇ、騎士団にいるのでしょう。お仕事はどんなことをしているのかしら」
聞けばフランソワーズは王城の家族が生活するスペースしか歩けず、外の世界を知らないとい
う。
ニコルは外には楽しいことがあるのに、かわいそうに思いながら仕事のことや庶民の暮らし、
街の賑やかさを話した。
「まぁ、楽しそう。でも、危なくないの」
「王女殿下が城下へ行く時には、騎士団が護衛に付くので大丈夫ですよ」
「そう。でも、それでは買い食いなんかできないわね」
「でしたら、私と町娘の衣装を着て、お忍びで出掛けましょう」
「まぁ、それは楽しそうだわ」
フランソワーズがはしゃぐと、部屋の隅でハヤテと一緒に控えていたトワレが宥める。
「王女様、お忍びなんていけませんよ。何があるのかわからないのですから」
「まぁ、ニコルは強いのよ。大丈夫よね」
フランソワーズがニコルの手を取りながら笑う。
「ニコル。ごめんなさいね。トワレが口うるさくて」
「いいえ。王女殿下の身体や安全を心配するのは当然です」
「まぁ、物わかりが良くて助かります」
フランの乳母であるトワレが渋い顔をしながらお茶を淹れ替えた。
「ねぇ、ところで先程一緒に居た方は騎士団の人かしら」
「はい。王立騎士団のルイ総統と、後宮護衛官に任命されたマカオンです」
「髪の長い方はどちら?」
「マカオンですが。どうかしましたか」
ニコルはザワリと胸に嫌な感触を覚える。
「まぁ、あんなに若い方を後宮の護衛にするの?信じられないわ」
フランソワーズが汚いモノを見るような顔をした。
「ねぇ、ニコル。貴方からマカオンを私付きの護衛にするように、ルイ総統に言ってくれない
?」
「え、私にはそのような力はありません」
「まぁ、だって貴方はあの辺境伯の娘でしょう。簡単じゃない」
フランソワーズが何を指して「あの辺境伯」というのか分からないが、騎士団は貴族階級とは
別に騎士個人の階級がある。ニコルは貴族階級では上位だが、個人としての階級は下から数え
た方が早い。
「申し訳ございません。私の身分では王女殿下のお力にはなれません」
ニコルは頭を下げた。
「貴方ばかりずるいわ。外で自由に暮らして、あんなに綺麗な男性に囲まれて。私は貴方のせ
いで、こんなに苦しんでいるのだから、1つぐらい言うことを聞きなさい」
今までとは別人のようにフランソワーズは、目を釣り上げてニコルを見据えた。
「・・・・・・」
黙るニコルに痺れを切らしたのかフランソワーズは立ち上がった。
「もういい。マカオンのことは父上に私から言うわ。帰りなさい。帰れ」
これがフランソワーズの本音なのだとニコルは震えた。
「それでは、失礼します」
ニコルは「ふざけるな」と大声を出したかったが、ぐっと堪えて儀礼的に挨拶をして離宮を出
た。
「ニコル様。よく堪えました」
ハヤテが周囲に人がいないことを確認すると、ニコルの背中をさすった。
「だから来たくなかったのよ」
ニコルの目から涙がこぼれた。
フランソワーズとの面会でニコルは一生、見たくなかった現実を突きつけられたのである。