程なくして道玄坂沿いにあるガーディアンエンジニアリングの社屋に着いた。
ガーディアンエンジニアリングはガーディアン本社での警備装置を始めとしたシステム開発を
する部署と、アメリカで特許を取った怜の研究を元に高臣と幼なじみの藤森悠仁、アメリカで
リサーチャーをしていた周子の4人で起業した会社が統合してできた会社だ。
アメリカで4人は怜が開発したものを周子のリサーチと高臣の計画に基づいて、人の懐に入り
込む術に長けている悠仁が売り込むというチームワークで成功を治め、そのまま日本で活動す
るつもりで留学先から帰国する前にメガバンクの一行と契約を結んだが、その事を耳にした高
雄が強引に元々ガーディアン本社にあった研究部門と統合してガーディアンエンジニアリング
としてグループ会社にした。
ガーディアンエンジニアリングは、渋谷の道玄坂にある小さなビルに入っている。
ビルは怜が母親から相続したもので、1階にコンビニエンスストア、2階にコーヒーショップが
入っており、3階から9階がエンジニアリングのオフィス兼研究所になっていた。
ガーディアンエンジニアリングでは警備装置・バイオメトリクスおよび画像や音響解析、MV
NOのチームに別れており、それぞれのチームが1フロアを使って研究開発を行っている。
怜と瀬名の席は9階にある。だが、バックオフィスフロアの3分の1はサーバールームになって
いるので一年中冷房がガンガンに効いていた。サーバールームと二重扉を隔てて怜がパソコン
や機器に埋もれるように座り、中央に高臣と悠仁の席を、寒さに弱い瀬名は窓際に席を置いて
いる。
だが、ガーディアン本社の役員を兼任している高臣達はほとんど本社にいるのでガーディアン
エンジニアリングを実質取り仕切っているのは怜である。ところが、怜と瀬名はリモート勤務
が多いので9階は無人のことが多い。
そのため、たまに怜と瀬名が出社すると入れ替わり立ち替わり人が出入りするようになる。
会社での怜は普段下ろしている前髪を後ろに撫でつけて、口調も態度も横柄な「ワガママな社
長の弟」を演じている。
そのせいで社内では「氷の王子」や「俺様王子」と女性社員から呼ばれており、本社の男性社
員からは「ボンボンのくせに」や「副社長が甘いからって調子にのっている」とやっかまれて
いた。
だが、ふとした瞬間に天才の証が見える時がある。
突然一点を見つめてゾーンに入るのである。
その間は、いくら声をかけても聞こえないので瀬名は質問したいことがあっても黙って待って
いるしかない。
ゾーンに入っている怜の横顔はいつもの優しい表情とふんわりとした雰囲気と違い、厳しい眼
差しで周囲を寄せ付けない氷のような冷たい雰囲気になる。
これはこれでカッコイイと、瀬名は見とれてしまうので待つのは苦ではない。それでも、その
間に他の仕事を進めるのも忘れてはいないが・・・・・・。
瀬名の仕事はバックオフィス全般である。
例えば、怜宛てに届くメールの仕分けとメールの返信、怜が手書きでメモしたものをフォーマッ
トに沿って文書化する。社内で使う稟議書や申請書、メールの下書きがエンジニアアシスタ
ント業務。こちらは、過去に怜が作成したものを見て同じように作成すればいいので、瀬名で
も対応できる。
ただし、怜は完璧主義なので余白のズレや半角、全角の違い、フォントが違うといったミスを
嫌うので、見直しを徹底しないといけない。
さらに、給与計算や経理業務をガーディアン本社と連携して行い、座席表と内線表の変更と周
知、備品の発注、研究設備のメンテナンス手配、衛生管理者としての職場巡回と産業医面談サ
ポート、経営陣のスケジュール管理などバックオフィス業務全般を任されていた。仕事は多岐
に渡るが仕事自体は簡単である。
ただ一つ、瀬名の頭を悩ませているのが予算管理である。
ガーディアンエンジニアリングにはガーディアン本社から予算が付けられているので、備品購
入や出張費は予算からマイナスしていくのだが、月末になると数字が合わない。
瀬名は数字が苦手なことを自覚しているので、予算集計が苦手で毎回のように怜の手を煩わせ
ていた。
そして今月も200万円合わなかった。
いくら数字が苦手な瀬名でも毎月200万円合わないのはおかしいと思う。だが、原因がわから
ない。
瀬名が自分のデスクで頭を抱えていると、いつの間にか後ろに怜が立っていた。 「また、予
算集計でしょう」
怜に言い当てられた瀬名は黙って赤くなって俯いた。
瀬名はきちんと業務をこなせるようになりたいと、支払いが発生したごとにエクセルで記録を
していた。さらに、受発注の書類や購買部の記録、経理の支払い記録など予算に関するデータ
を取り寄せてフォルダにまとめ、紙の書類はすべてファイリングして間違っている箇所を洗い
出すが見つからない。
「パソコンを見せてください。」
怜は背後から瀬名のパソコンを覗いた。
「あぁ、なるほど」
瀬名の背後からパソコンを操作しながら呟く。瀬名は背後から怜に抱き締められているようで
鼓動が速くなる。
「どこが間違っているかわかりましたか?」
瀬名が正面を向いたまま訊くと、怜は背後から瀬名を抱き締めているような格好のまま言った。
「瀬名は何も間違っていませんよ。システム権限者の問題なのでこのままでいいです。ただ、
瀬名が持っているデータを僕に渡してください。紙のデータも含めて」
「では、紙のものはPDFにしてデータ化して一緒に渡します」
「お願いしますね。それと、今後は予算に関するデータはUSBメモリに保存してください」
「でも、それは社内のルール違反になりますが、いいのでしょうか」
社内では機密情報をUSBメモリやSDカードに入れて持ち運ぶことを禁止している。
「大丈夫ですよ。他でもない機密情報管理責任者の僕が指示しているので大丈夫です」
「はい」
「瀬名」
不意に甘い声で呼ばれたので、上を向くとチュッと怜にキスをされた。
「・・・・・・もう」
瀬名は呟きながら赤くなった。
仕事量が多く勤務時間中は次々とやることがあるので忙しいが、残業はない。
なぜなら、退勤時間になると怜が「帰りますよ」と瀬名を無理矢理連れて帰るからである。
怜が定時に帰るのには理由がある。
怜が高臣の家である南條邸で家政夫をしているからである。本来は瀬名の役割なのだが、病気
で動けない瀬名に代わって担当していた。
ガーディアンエンジニアリングは基本的に研究員しか在籍していないことから、フレックスタ
イムが適用されている。怜はそのシステムを利用して午前中にハウスキーパーを呼び掃除をし
てもらいながら、洗濯や夕食の下準備を行い、午後から出社し、仕事をして帰宅した後に夕食
を作る。その後、高臣や瀬名の世話をしながら翌朝の仕込みをしてから寝る生活を送っている。
ビルの群れを抜けていくと、住宅街に出た。
都心とは思えない広大な敷地に南條邸はあった。
ここが、高臣を中心に怜と瀬名が暮らしている屋敷であり、瀬名が南條兄弟と初めて出会った
場所だった。
現在はローズガーデンになっている庭だが、初めて会った時はミモザや沈丁花、ユキヤナギ、
アネモネ、ラナンキュラス、ムスカリなどが咲き乱れていた。
中学を卒業したばかりの瀬名は父の名波悟と一緒に、留学先から帰国した高臣に会いに来た。