ガーディアンでは月に1度、ガーディアングループの経営会議が行われる。この会議には高雄
をはじめとした幹部が出席し、ガーディアンエンジニアリングからは高臣と悠仁、怜が出席す
る。
怜は経営会議に参加、会議が終ると本社のプロフェッショナル・フェロー室でガーディアンエ
ンジニアリングと本社開発部の各マネジメント会議が行われる。
怜は世界的に有名なエンジニアであることから、ガーディアン本社のプロフェッショナル・フェ
ローという肩書きも持っている。
この会議がある日は瀬名も忙しい。
怜と一緒にガーディアン本社へ出社してプロフェッショナル・フェロー室へ向かう。
今日の怜は前髪を上げ、光沢のある生地で仕立てた三つ揃いのオーダーメイドスーツに、ダ
イヤのネクタイピンとお揃いのカフスを上品に身に纏っていた。
「瀬名さん」
「はい」
プロフェッショナル・フェロー室でドサッと腰を下ろした怜が、瀬名を見て手招きをするので
席に行くと荷物からランチバックとポットを取り出して笑顔で手渡す。
「お昼ご飯です。食べられる時に食べてくださいね」
「ありがとう」
怜は出勤する時には必ず自分と瀬名の弁当を持参する。作ったのはもちろん怜だ。
瀬名の仕事はお茶汲みである。
経営会議が始まる前に怜にハーブティーを淹れて運び、中にいる高臣からお茶を配って欲しい
と呼ばれるまで給湯室で待機する。一緒に待機するのは周子を始めとした本社秘書室の社員で
ある。
事業本部長にはセクレタリーが付き、マネージャーやリーダーにはグループセクレタリーがお
茶を出す。瀬名はセクレタリーではないのだが、怜が「瀬名の淹れたお茶以外は飲まない」と
公言したせいで本社の秘書と一緒に給湯室にいなければいけない。人見知りの瀬名は、この仕
事が当初は苦痛だった。
さらに、瀬名を悩ませているのがガーディアンエンジニアリングと本社開発部の各マネジメン
ト会議の時間である。
プロフェッショナル・フェロー室は扉を開けた正面に怜の席があり、怜の席を底辺としたL字
を書くように瀬名の席がある。
マネジメント会議は瀬名が仕事をしている目の前で行われた。
怜は各マネジメント達の話を冷たい眼差しで聞くと「こんなものを見るヒマはない。帰れ」「
できないじゃない。やるんだよ」と、冷たく言い放つのでマネジメント達が気の毒でならない。
目の前にいる怜と普段接している怜が別人のようなので、当初は本気で双子なのではないかと
思っていた。
だが、最近ではどちらも南條怜だと理解している。むしろ、冷たい目で人を見る怜の方が本質
だと瀬名は感じている。何でもすぐにできる怜から見れば、他人は無能にしか見えないのだか
ら厳しい言動になるのは仕方がないのだろう。最近では怜が苛立ちを露わにしている姿を見る
度に、怜も誰にも理解されない苦しみを背負っているのだと思う。それでも瀬名自身とは種類
が違うものだと判っているので、自分と怜が同じだとか似ているとまでは思っていないが。
マネジメント会議が終るとガーディアンエンジニアリングへ戻って仕事をする。
怜の運転する車で戻ることもあるが、怜が高臣や悠仁と打ち合わせをする日は歩いて戻る。
健常者であれば歩いて十分程度の距離だが、瀬名はワイヤーでギリギリと締め付けられるよう
な全身の痛みに襲われ、鉄板のように固まる背中や筋肉が強張って棒のような脚では道玄坂を
歩くのが厳しい。
このような状態で歩く時、いつも瀬名は「歩け、歩け」と心の中で呟きながら歩いている。
特に膝から下が強い強張りで棒のような脚では前へ進みたいのに、脚がついてこない。
他の人は何も考えずにスタスタと歩いているのに、自分には難しい。
次々と他人に追い越されると瀬名は、あまりにも自分が情けなくて自然と目から涙が零れそう
になる。
だが、人前で倒れるわけにはいかない。
「人前で倒れるほど私は弱くない」
今日も心の中で呟くと、瀬名は前を向いて歩き始めた。
ガーディアンエンジニアリングで1時間程仕事をしていると、怜が帰って来た。
「お帰りなさい」
「これ、瀬名にお土産です」
怜はUSBケースを差し出した。
「私に?」
「人事部から来年の春に入社する内定者データをチェックして欲しいというので、受け取って
来ました」
ため息交じりに怜が言った。だが、瀬名は笑顔でUSBケースを受け取った。
「ありがとうございます」
自分でも役に立てることがあるのが嬉しかった。ただ、このデータをチェックするのであれば
出社しないといけない。納期までに間に合うのか少し不安である。
「そのデータですが、家で作業してもいいですよ」
瀬名の不安を読み取ったように怜が言うので、驚いて怜を見つめる。
「え、でも、これ全部個人情報です」
ガーディアングループはPマークもISOも取得している優良企業である。
「お屋敷も事務所として登録されていますから、問題ありません。そもそも、旦那様も僕も仕
事しているでしょう」
「確かに」
言われてみればそうだった。しかも、住んでいる人も訪問してくる人達は、瀬名より上役の人
ばかりで、部外者は1人もいない。
「ただし、勤務時間外に仕事をするのは禁止です。いいですね」
「はい」
「では、帰りましょう」
にこりと笑うと、怜は瀬名の荷物を持って部屋を出ようとする。
「あ、もしかして迎えに来てくれたんですか」
「ええ。あのまま直帰しても良かったのに、瀬名ことだから仕事をしていると思っていました」
普段、瀬名は思うように出社できない。だから出社できる日は出社して、仕事をしたかっただ
けなのだが心配をかけてしまったらしい。
「すみません。すぐ、片付けます」
「別に悪いことをしているわけではないので、謝らなくてもいいんですよ。手伝いましょう」
怜は笑いながら瀬名の机に置かれていた分厚いファイルを片付け始めた。
その夜、瀬名が怜に髪を乾かしてもらいルイボスティーを飲んでいると怜のスマホが来客を知
らせた。
南條邸のインターホンや警備システムは怜のスマホに来客や、侵入者を知らせる機能が付いて
いる。
「大旦那様がお見えになったようです」
緊張した面持ちで怜が立ち上がった。
「え・・・・・・どうして」
時計の針は23時を過ぎている。
こんな時間に突然来るとは余程の事情があるに違いない。
瀬名がオロオロしている間に怜は瀬名のクローゼットから、ワンピースを持って来た。
「瀬名は着替えてから来てください」
「はい」
「心配しなくても旦那様が応対してくれます」
怜は瀬名の頭を撫でて微笑んだ。
怜が部屋を出ていくと高雄の怒鳴り声が響いた。
「出迎えもせず、女の部屋から出て来るとは、使用人にどんな躾をしているんだ。高臣」
高雄の声に、瀬名は慌ててパジャマ姿のまま出て行く。
「あの、怜さんは寝る前にお茶を持って来てくださったんです」
高雄は怜をジロリと睨むと怜に詰め寄り、胸倉を掴んだ。
「お前達のことを俺が知らないとでも思っているのか。馬鹿にするな」
怜は高雄の腕を捻りあげてから振り払う。
「僕が誰と付き合おうが貴方には関係ありません」
冷ややかな眼差しと声音で言う。
「愛人の子供が生意気言うな。誰のおかげで生きて居られると思っているんだ」
「僕が生きて居られるのは先代の大旦那様と、高臣様のおかげです。部外者の貴方は関係あり
ません」
「なんだと」
「貴方はいつまで南條家にしがみつくつもりですか。それとも、南條の名がないと何もできま
せんか」
怜が鼻で笑うと、高雄は怒りで真っ赤になって身体を震わせる。
「貴様、言わせておけば。お前は金になる機械を造っていればいいんだ」
「何を騒いでいるんですか」
高臣が執務室から顔を出した。
「高臣。松島精機の見合い、勝手に断ったそうだな」
高雄は高臣の顔を見るなり詰め寄った。
「あぁ、その件でしたら、明日ご説明に上がる予定でした。まぁ、どうぞ。怜達も来なさい」
高臣は今の騒ぎがなかったかのように悠然と高雄を招き入れた。