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龍ヶ池~平安綺譚~

18話

「東宮様は梅東風宮様のあしらいは、お前達に任せるように言っていたが、どうすればいいの
だ」
「何もなさることはありません」
お訊ねになった鈴宮様に八百比丘尼は声を荒げて即座に答えると手にしていた扇を真っ二つに
折りました。
「おい。大丈夫か」
玉藻前を叱ることはあれど、鈴宮様に声を荒げるとは滅多にありません。鈴宮様は驚きを通り
超して心配なさいます。
「失礼しました。大丈夫です。それより、不届き者に対処するのは女房の務め。高貴な姫君ま
しては宮様が対応なさることはありませぬ」
いつもの落ち着いた様子で八百比丘尼は説明しました。
「そうか。だが、私にできることがあったら言ってくれ」
「かしこまりました」
八百比丘尼と玉藻前が頭を下げます。
女房達に任せたもの鈴宮様は気持ちがすっきりしませんでした。
その後も花は毎日のように届き、次第に歌が添えられるようになりました。
歌には「狐憑きの宮と噂されている貴方を慰めたい」「貴方の力になりたい」という趣旨の歌
ばかり添えられています。
歌が贈られたのに返歌をしないのは失礼あたるので都度、八百比丘尼が当たり障りのない歌を
返しておりました。
一方で玉藻前は配下に梅東風宮様の様子を探らせていました。
「なんだってこんなに暑いのだろうねぇ。嫌になっちまう」
慌ただしく過ごしているうちに夏が訪れておりました。
「そうだな」
鈴宮様は龍ヶ池のことが気にかかっていますが、東宮様に言えずにおります。
「鈴宮様、龍ヶ池が気になるのでしたら、小僧に言わなくても様子を見に行けますよ」
「それはそうだが、東宮様に何も告げずに行くのは良くない。人の世で生きる以上、守らなけ
ればならないこと、大切にしなければならないことがあると教えたのは八百比丘尼だろう?」
「確かにそうですよ。でも、龍ヶ池と小僧のどちらが大切か考えてみてくださいまし」
「おやおや、それは私よりも龍ヶ池の方が大切だと言っているようだね」
東宮様が御簾の影から姿をお見せになりました。
「まぁ、そんなふうに言ったつもりはありませぬ」
八百比丘尼はツンとそっぽを向きます。
「これ、やめないか」
鈴宮様は東宮様に上座を譲りながら八百比丘尼を宥めますが、八百比丘尼は部屋を出て行って
しまいました。
「すまない」
「いいえ。それより龍ヶ池がどうかしたの」
「そろそろ様子を見に行こうと思っていたのだ」
玉藻前の配下が龍ヶ池の様子を毎日報告してくれていますが、鈴宮様は気がかりでした。
「そういえば、鈴宮は龍ヶ池の守人と言っていたけれど、何をするの?」
そもそも龍はいるのか、と東宮様はお訊ねになります。
「私の役目は龍ヶ池を神聖な空気で保つことです。この役目を私は幼い頃に龍神から頂いたの
だ」
「龍神に会ったということ」
「あぁ」
東宮様はポカンとした顔で鈴宮様を見つめます。
しかし、鈴宮様は気にも留めず八百比丘尼から聞いた話を東宮様に伝えられました。
龍ヶ池は大昔、龍神が顎の下に持つ球を欲しがった帝のために、に貴族達が大勢押し寄せたせ
いで瘴気に包まれてしまいました。その瘴気により龍神が暴れ、水害で多くの人が亡くなった
といいます。
その後、鈴宮様と同じような破魔の力を持つ者が産まれると、様々な理由で龍ヶ池の近くに住
みつき龍ヶ池を神聖な空気で保つようになったのでした。
しかし、何代目かの守人に時の帝が懸想をし、都へ連れて行こうとしました。しかし、自分は
龍ヶ池を守ると言って守人は頷きません。頑なな態度に業を煮やした帝は嫌がる守人を都へ連
れ去ると後宮に閉じ込めてしまいました。さらに、龍ヶ池に怪しげな薬を流し入れ池を汚した
のです。それを知った守人はあまりの恐ろしさに後宮で自害をしてしまいました。怒った龍神
は、雨を降らせるのを止めてしまいます。そのせいで日照りが続き多くの人が餓死したのです。
「確かに、水害や日照り続きでの飢餓には遭っているけれど、当家が龍神の怒りを買ったのが
原因とは思わなかったな」
東宮様はのんきな態度で脇息にもたれかかっています。
「とにかく、龍ヶ池を清めに行きたいのだ」
「私は構わないよ。ただ、梅東風宮がうろうろしているから、くれぐれも気をつけて。それと、
夜には必ず戻ってくるのだよ」
「・・・・・・。わかった」
久しぶりに別邸で八百比丘尼や玉藻前達とのんびりしようと思っていた鈴宮様は、ついに自分
にも千里眼が使えるようになったのか、とヒヤリとします。
「千里眼なんぞに頼らなくても鈴宮の気持ちは分かりますよ」
「嘘を申すな」
鈴宮様は幼い頃に物の怪が見えることや話せることを気味悪がられて以来、無表情でいること
が常になっています。そのため、「何を考えているのかわからない」「可愛げがない」と、八
百比丘尼達が現れる前の女房達に散々言われていたのです。
「嘘ではありません。鈴宮は無表情で通しているから、周囲には伝わらないかも知れません。
ですが、私は鈴宮様のことしか見ていませんから、わかるのですよ」
「・・・・・・。そうか」
鈴宮様は内心では嬉しくもありがたくも思っていましたが、どう表現していいのかわからず、
いつも通り返事をしました。
「龍ヶ池で泊まりはいけません。独り寝は寂しいからね」
「・・・・・・。」
東宮様の一途な気持ちに偽りがないことを鈴宮様は存じ上げています。ところが、愛情表現に
慣れていない鈴宮様は戸惑うことが多くたまには別邸でのんびり過ごしたいという気持ちにな
るのでした。
鈴宮様が首を傾げられると、東宮様は哀しそうな顔をなさいました。
「はぁ。いつまで経っても私ばかり鈴宮のことを想っているようですね」
「え、そうなのか?」
「そこは、私も想っていると言うところですよ」
「・・・・・・。」
困った鈴宮様は玉藻前に助けを求めます。
「そうだねぇ。嘘でもいいから、そう言ってあげた方が殿方は喜ぶものさ」
「玉藻前。私は嘘をついて欲しいわけではないよ」
東宮様が慌てて言い返すと玉藻前は赤い舌をペロリと見せました。
「あら、そうでしたか」
「玉藻前。東宮様を揶揄うな。東宮様も、おかしなことばかり言っていないで、早く用件を言
え」
「おかしなことは言っていませんよ。まぁ、続きは夜でいいでしょう。ちょっと梅東風宮のこ
とで気になることがあったので報告しに来たのですよ」
東宮様は居住まいを正されました。鈴宮様は東宮様の言葉に引っかかるものを感じながら耳を
傾けました。
東宮様の話では、梅東風宮様は鈴宮様に花や文を届けに来ては、東宮御所から出てくる大臣達
が「東宮は生意気だ」「もっとボンクラならよかったのに」と話しているのを聞いて、このよ
うな臣下を自分は従えられない。東宮になって苦労するより、旅に出て絵を描いて暮らしたい。
そう結論づけた梅東風宮様は、最近ではまつりごとを臣下に任せて絵を描いて暮らしているという。
「それはまことか」
驚く鈴宮様に東宮様は無言で頷かれました。
「息子がやる気がないなら仕方がありません。ですが、大后宮様はどう思っているのでしょう」
「あの母親が息子の変化に気がつかないとは思えないねぇ」
いつの間にか茶の支度を終えた八百比丘尼と玉藻前は東宮様を見つめました。
「それを早く言え」
龍ヶ池に行っている場合ではないのではないかと、鈴宮様は額を押さえられました。
「大后宮様のことだから、息子の力を使って陰陽師や僧都を集めて何かしそうだねぇ」
玉藻前は愉しそうに笑っています。
「不謹慎な笑い方をするでないよ」
八百比丘尼は顰め面をしますが、玉藻前は気にする様子はありません。
「東宮様、また何か視えたら教えてくれ」
「もちろんです。鈴宮のことは私が護ります」
東宮様の顔にはいつもの甘えた表情はなく、凜々しいお顔をされていました。       
                                        

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